開発者プロフィール
開発創業者・食品開発者
村田達美
1946年生まれ74歳
母は味覚が良く、作った料理を良く近所に配った、
近所の人から奥さん料理が上手だから店をやったら・・・とよく言われていた。
その母から、「たつみ」は味覚が良いからとよく言われ、母の代わりに
夕飯を週一で作っていた。
小学校の頃、餃子との出会い
仲良くしていた肉屋のおじさんに餃子の作り方を指導してもらう
家で工夫して、醤油→味噌 キャベツ→白菜
椎茸を加え、にんにくとニラを増量し
胡麻油、ラード、生姜、鰹節などを入れ
創意工夫の餃子を失敗しながら自分の餃子を完成させた。
ラードを加えたまったり味が美味しかった。
焼きたてパンの感激
小学校の下校時に、給食のコッペパン工場の前を通る度に
焼きたてのパンの匂いが好きでのぞき込んでいたら
工場の職人が焼きたてのコッペパンを食べさせてくれた。
昭和31年頃,、焼きたてパンの美味しさに感激し
街のパン屋さんも焼きたてのパンを売ると売れるのにと思っていた。
母が夕飯に「もつ」を買って料理してくれた。
家族は初めて食べた
弾力性がなんともいえず醤油味だった。
知り合いのところで食べさせてもらって美味しかったからと・・・
もつは豚の何処の部分かあとで聞いて気持ち悪くなったと。
この日から私は、豚モツの料理開発に入った。
同時に豚の焼き肉のタレも開発、醤油にニンニクを入れ、砂糖、鷹の爪などを入れて工夫した。
これが、現在の豚の強壮てり煮のタレ、強壮焼き肉のタレ、強壮てりもつ
強壮シリーズ料理とタレの原点である。
ニンニクを多く入れたので、翌日、口臭と体臭からはにんにくの
臭いで家族から非難され、にんにくの臭いを抑える方法を研究。
サラリーマンを経て37歳の頃新宿区で飲食店を経営
その時にんにくの臭いを抑える技術を発見
そこに滋養強壮に良い漢方生薬を調味料として入れ
旨みとコクを、またご飯に合う調味料を開発する
居酒屋ではニンニクベースのやきとりのタレも試行錯誤しながら完成。
このとき完成したメニューが、市ヶ谷「柑山」のヒットメニューとなる。
村田達美
1946年生まれ74歳
母は味覚が良く、作った料理を良く近所に配った、
近所の人から奥さん料理が上手だから店をやったら・・・とよく言われていた。
その母から、「たつみ」は味覚が良いからとよく言われ、母の代わりに
夕飯を週一で作っていた。
小学校の頃、餃子との出会い
仲良くしていた肉屋のおじさんに餃子の作り方を指導してもらう
家で工夫して、醤油→味噌 キャベツ→白菜
椎茸を加え、にんにくとニラを増量し
胡麻油、ラード、生姜、鰹節などを入れ
創意工夫の餃子を失敗しながら自分の餃子を完成させた。
ラードを加えたまったり味が美味しかった。
焼きたてパンの感激
小学校の下校時に、給食のコッペパン工場の前を通る度に
焼きたてのパンの匂いが好きでのぞき込んでいたら
工場の職人が焼きたてのコッペパンを食べさせてくれた。
昭和31年頃,、焼きたてパンの美味しさに感激し
街のパン屋さんも焼きたてのパンを売ると売れるのにと思っていた。
母が夕飯に「もつ」を買って料理してくれた。
家族は初めて食べた
弾力性がなんともいえず醤油味だった。
知り合いのところで食べさせてもらって美味しかったからと・・・
もつは豚の何処の部分かあとで聞いて気持ち悪くなったと。
この日から私は、豚モツの料理開発に入った。
同時に豚の焼き肉のタレも開発、醤油にニンニクを入れ、砂糖、鷹の爪などを入れて工夫した。
これが、現在の豚の強壮てり煮のタレ、強壮焼き肉のタレ、強壮てりもつ
強壮シリーズ料理とタレの原点である。
ニンニクを多く入れたので、翌日、口臭と体臭からはにんにくの
臭いで家族から非難され、にんにくの臭いを抑える方法を研究。
サラリーマンを経て37歳の頃新宿区で飲食店を経営
その時にんにくの臭いを抑える技術を発見
そこに滋養強壮に良い漢方生薬を調味料として入れ
旨みとコクを、またご飯に合う調味料を開発する
居酒屋ではニンニクベースのやきとりのタレも試行錯誤しながら完成。
このとき完成したメニューが、市ヶ谷「柑山」のヒットメニューとなる。